home > ouma > shioとお馬

shioとお馬
運動神経が壊れているか存在しないためなshioがなぜお馬に乗っているのか


1995年 お馬との出会い

1994年当時勤めていた会社が、競馬好きのおじさんの巣窟でした。
毎晩のように飲みに付いていっては、競馬談義を聞かされているうちに私もすっかり競馬好きに。
馬券の方はからきし×だったけどなぜか馬の魅力にすっかりはまり、一人で府中や中山に出掛けて行っては一日パドックにはり付いてお馬を眺めたりしていました。
(うら若い女の子にあるまじき・・・。)
この頃の私にとってはお馬は遠い憧れの存在。
根岸の馬の博物館に行っておそるおそるポニーの鼻面を撫でた時の感動を今だに覚えています。

1996年 乗馬を始めよう

じきに眺めているだけでは飽き足らなくなり、無謀にも『牧場で働きたい』なんて夢を持つようになりました。
それには馬にのれなくては話にならないのでは・・・。
という訳で丹沢乗馬クラブに入会。始めたらそれは面白くて、休みの度にクラブに通うように。
でも運痴な私はなかなか馬の動きに付いて行かれず、駈足が出来るようになるまでに30回以上は落馬;
ついに腰骨骨折の大怪我を負って2ヶ月歩けなかった間、なにより辛いのはお馬に会えないことでした。
そんなわけで競走馬の調教もしくは厩務員!なんて大それた野望は脆くも崩れ去りましたが、馬好きには益々拍車がかかったのです。

1997年〜98年 牧場で働く

ひょんなことから念願の牧場のアルバイトをさせて貰えることになりました。
長野のとんでもない山奥にあって、「馬の養老院」を併設したユニークな乗馬クラブです。
この頃が一番馬に対して一所懸命だった様に思います。
窓を開ければ馬!の部屋での暮らし。
その当時の大体のプログラム。
朝4時に起きてお馬2頭騎乗。(わがままを言って乗らせて貰っていました)
朝食の後7時から飼い付け開始。飼い付けしながら馬のブラッシングや爪の裏掘りをする。すごい技だ。
8時ごろには宿泊客の朝食の支度を手伝い、ミーティング・小休憩。
9時頃から40頭以上の馬を手分けしてつないだり放牧したりした後、馬房掃除。その間もお客さんのレッスンや外乗の先導や引き馬などが入る。
12時過ぎおなかペコペコで昼食。
午後は繋ぎ場のぼろを取ったり、馬に水をやったり、馬の夕飯を作ったり、お客さんの相手をしたり、厨房を手伝ったり、宿泊施設の整備をしたり・・・とにかくいくらでもやることはある。。。あっというまに夕刻になり、お馬をしまって、宿泊客が有る場合はその夕飯の支度も手伝い、19時頃終業。
半端じゃなくキツイ。動きっぱなしです。
でもそれ程辛いと感じた記憶は残っていないのです。(実際はかな〜り愚痴タラタラだったのだろうけどあんまり覚えてません)
短い期間でしたが馬達や動物・そして人との関わりを通じて沢山の貴重な体験をさせて頂きました。楽しい事だけでは有りません。骨折した馬が悶えながら死んでいく姿を目の当たりにしたことも有りました。血の匂いが今でも蘇ります。 絶望的とも思える骨折を乗り越えて生き続けた馬もいました。
そして馬や動物を扱う仕事は奇麗事だけではないという現実も学びました。


1999年〜 その後のお馬ライフ

たいそうな野望を持ってはじめた乗馬ですが、最近は上手くなろうとか競技でたろとか、そんな気力は全くなし。あくまで乗馬です。馬術はできません。
30分も乗れば飽きてしまいます。
でも週に一度ペースでの乗馬は飽きることなく続けています。
散歩のようなもので、生活の一部となっているようです。
主な騎乗場所はわたしの乗馬の故郷、丹沢RCです。

戻る